ちなみに、加藤氏は早稲田大学ソニックスの創始者でもあり、アルティメットチャレンジャーの大学の先輩でもある。
【第0回フレマンの思い出1】コロナ禍により新人確保に苦戦中の大学 #アルティメット 関係者の方も多いことでしょう。個人的に新勧最大の思い出は、#早慶ラクロス定期戦 に着想を得て企画した第0回フレマン(1995年)です。なぜ第1回ではなく第0回なのか等々追々書き綴って参ります。
— wasedasonics88 (@wasedasonics88) September 21, 2020
【第0回フレマンの思い出2】なぜ第0回なのか。それは95年大会が学連や協会の公式戦ではなかったからです。当時私は学連副委員長でしたが、公式戦として開催する為の各方面との調整は重荷に感じました。そこで非公式戦ならどこからも文句は出ないだろうと、一人でひっそり企画書を書き始めました。
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【第0回フレマンの思い出3】まず大会の目的は1人でも多くの新入生に手軽に #アルティメット の魅力を知って貰うこと。ネット動画のない時代、その手段はほぼ試合観戦のみ。まだこの競技への関心が高くない新入生にとって小岩の河川敷は手軽とは言い難いし、荒廃した河川敷の印象は如何なものか。
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【第0回フレマンの思い出4】従って会場は都内の交通至便かつ観客席があり、利用料の安い公的な施設を探すことにしました。続いてゲームカードです。4、5月時点で関東最高水準の試合を見せられなければ、競技の魅力は伝わりませんが、関東の全大学に呼掛けて予選をすることは現実的ではありません。
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【第0回フレマンの思い出6】こうして企画の大枠が出来たところで、学連で接点の多かった慶應、東大、上智、日体等の方々に企画書をお見せして感想を伺い始めました。具体的な段取りはまるで思い出せませんが、相談しやすい方からご相談して、少しづつ大会趣旨にご賛同頂いていったように思います。
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【第0回フレマンの思い出8】次は観客動員です。大会趣旨からして、決勝戦進出校だけでなく全出場校の新入生に観戦して貰う工夫が必要です。そこで、決勝戦の前に全出場校の選手2名が参加するオールスター戦を開催することにしました。この目論見は当たり、全出場校が新入生を連れて来てくれました。
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【第0回フレマンの思い出10】チアリーダーからはフリスビーとは応援できるものなのか?と質問されましたが、試合中フリスビーを持っているチームがオフェンス、持っていないチームがディフェンス、エンドゾーンでタッチダウンパスに成功したら得点と説明したら、当日は真剣に盛り上げてくれました。
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【第0回フレマンの思い出12】そして、最後まで保留していたのが大会名です。非公式戦なので敢えて片仮名にしようと、和英辞書で新入生を調べたら”freshman”とあったのでフレッシュマンズカップとしました。私の卒業後第2回が開催されるか分からないので、第1回とは名付けませんでした。
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【第0回フレマンの思い出14】さて、迎えた決勝戦当日。男子決勝戦は慶應対日体、女子は上智対日体で、男女とも日体が優勝したはずですが、スコアは全く思い出せません。ただ、今でいう陰キャの私は、日体大の選手が早稲田 #FALCONS の部員をナンパしていたことだけは鮮明に覚えています。
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【第0回フレマンの思い出16】私は大学1年生で早大 #アルティメット 部を設立したのですが、当時は練習には来るのに、大会となると「栃木とか無理。都内なら出る」と発言する部員が沢山いました。退部されたら困るので、卑屈な愛想笑いを浮かべながら参加をお願いするしかありませんでした。
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【第0回フレマンの思い出18】新設大学チームが大会に出場出来ず自然消滅するのは余りに残念だ。学生だけでも都内で相応の大会を開催出来ることを示せば、今すぐ大学選手権開催方式を変更出来ずとも、大学アルティメット界に一石を投じられるのではないか。これがフレマン企画のもう1つの背景です。
— wasedasonics88 (@wasedasonics88) October 7, 2020
【第0回フレマンの思い出19】早稲田自身も新設校であり、他大学より自分の心配をしろとのお言葉も頂きましたが、多くの大学のご協力で第0回大会を開催出来ました。改めてお礼申し上げます。アルティメットは若い競技です。慣習に囚われずより普及させられると信じます。ご高覧有難うございました。
— wasedasonics88 (@wasedasonics88) October 8, 2020
加藤氏とは個人的に話すこともよくあり、大枠で大会の成り立ちは聞いていたが、ツイートには知らなかったことも書かれており、とても興味深い。
一大学生の立場で、ここまで考えて、しかも周りを巻き込んで大会を開催させた企画力・実行力には脱帽である。
ちなみに、アルティメットチャレンジャーは大学時代、慶応大学の協力のもと、アルティメットの早慶戦(※)を夢の島競技場で開催したことがある。
※早稲田大学と慶応大学のスポーツの対抗戦は早慶戦(又は慶早戦)と呼ばれ、特に野球、サッカー、ラグビー、ボートなどが有名である。
これは数年前まで開催されていた全日本選手権決勝が行われる前の話で、夢の島競技場で初めて行われたアルティメットの試合は早慶戦であった。
きっかけは、練習帰りにいつも気になっていた夢の島競技場にアポ無しで立ち寄り、施設の使用についてお願いしてみたところ、きちんとしたイベントであれば使用許可を出せるかもしれない、ということだったので、慶応大学に話を持ちかけ、前からやりたかった早慶戦を開催してしまおうと思ったことである。
こう考えると、大学生でも結構できることはあって、もしかすると、大学生だからこその(時間があったり、企業や公営施設からの協力が得られやすいといった)メリットもあるのかもしれない。
もちろん、社会人には社会人のメリット(企業や各種団体とのコネクションや資金力等)もあって、個人やチームレベルでも結構できることはあると思う。
最近は、日本各地で大小様々なイベントや大会が開催されるようになってきたが、近くそういうイベントや大会がなければ、自分達で企画・開催してしまうのもありだと思う。