「大事な話があるので、日本時間のお昼頃(バンクーバー時間で夜8時頃)に連絡をお願いします。」
たった一文の短いメールだったが、これで全てを悟った。
実は、母親は6年前、ガンを患い、摘出手術を行っていた。
(その時、自分はカナダに居たので、一時帰国して手術を見守っていた。)
父親は、チャレンジャーが12歳の時にガンの手術が原因で無くなっている。
チャレンジャーの良き理解者であり、サポーターである母親は、こういう状況の時は、全ての意識を大会に集中し、他のことは全てそっちのけなのことは、一番良く分かっているはずなのだ。
それなのに、時間まで指定して今日必ず連絡欲しい、大事な話があると言う。
覚悟を決め、モコちゃんと二人でパソコンのビデオ電話をかける。
この時ほど自分の予想が外れて欲しいと思ったことはない。
しかし、現実は厳しいものだった。
母親の口から、自身のガンの再発を告げられた。
しかも、全身に転移しており、治療は難しいとの診断結果。
要は余命がいくばくも無いということ。
淡々としかし、目を潤ませながら、現状を伝える母親。
傍らで話を聞くモコちゃんの目からは涙がこぼれる。
自分の目にも涙がたまる。
7月末に診断結果が出てたのだが、大会を控える自分達には終了後、伝えようと思っていたらしい。
しかし、予想以上に体の具合が急減に悪くなり、1日でも早く伝えなければと今日連絡をしたとのこと。
自分の命よりも、息子の目指すものを大事にしたいというその気持ちが痛いほど伝わってきた。
そして、それを出来なくさせるほど、具合が悪くなっていることも容易に想像ができた。
その母親の思いを受け止め、大会には最大限集中し、全力を尽くすことに決め、大会終了後、できるだけ早く帰国すると伝えた。
母親は「それでいい。」とだけ言った。
次の日、オーストラリア戦に勝利し決勝進出を決めた後、8月14日に日本に帰国することを決めた。
もちろん大会終了後のビクトリア旅行などは全てキャンセル。
サンフランシスコまでの帰りのバスや飛行機も全て変更した。
8月9日(土)に大会終了後、8月10日(日)にバンクーバー発で経由地のシアトルで一泊し、8月11日(月)にサンフランシスコに到着。
帰国がどれくらいになるか分からないので、二日間で全て家の荷物をまとめ、8月14日(木)にサンフランシスコを出発。
超ハードスケジュールだったが、友人が、荷物を引き取ってくれた、ガレージに置かせてくれたり、空港まで送ってくれたり、と本当に助けられた。
そして、ささやかだが、友人達を集め、サンフランシスコ最後の日の8月13日(水)の夜にお別れパーティーを開いた。
みんな、別れを惜しんでくれ、母親の心配をしてくれた。
寂しいが、いつかまた戻ってくるよ、と伝え、全員と熱いハグをして、再会を誓いながら別れた。
▼左からモコちゃん、アレックス(フューリー・2009WGカナダ代表)
ジョンZ(ジャム)、チャレンジャー、デイミアン(ジャム・2001WGアメリカ代表)、イードリス(ジャム)、ウッディ(ジャム)
(※他にも多くの友人達が来てくれた)
その後、母親は11月1日に他界したのだが、約2ヶ月以上、ずっと近くで看病できたことは、せめてもの恩返しができたのでは無いかと思っている。
病床で銀メダルを見せた時の母親の「おめでとう」という言葉は一生心に残るだろう。
そして、これからもチャレンジャーの挑戦を空から見守っていてくれていると思う。
チャレンジャーの挑戦はまだまだ続く・・・。